2022年3月8日
更新日:2022年8月8日
今年で65歳・・・「体もガタが来た」「気力も続かん」と先代は漏らす。 「まだまだ大丈夫ですよ!」 と私。 脱サラして10年、一気に突き進んできた10年・・・このエネルギーはどこから来るのか? 確かに年を取られたのかもしれないが簡単には見つけることが出来ない貴重なエネルギーが消えていくのは勿体ない。相談役? 顧問? アドバイザー?…どんな名前が一番的を得ているのか分からないがこれからも関わってもらおうと考えていたが先代は固辞された。「任せるとなったら口は出さない」と。しかし名目は何にせよロヴェストの創始者であり歴史なのだから否応なしに離れられない立ち位置のような気がする。
「もっとロヴェスト神戸を大きく良いクラブに発展させてくれる人がいたらクラブを譲りたい」。いつもそういって適任者を探していたという。しかし、譲ると言ってもここまで築き上げてきたクラブ。誰でも良いという訳ではないのは容易に推測できる。そんな中、私にお声がかかることになる。どんなことにせよ期待されて声をかけてもらうということは光栄なこと。しかし私はその話を頂いてから随分と考え、なかなか答えが出せずにいた。最終的にウブさんは「適任者が居ない。昌子さんにお願いをして、引き受けてもらえない場合は私が続けてやるわ」という決意を持っていた。 2021年に入り、ウブさんと会ってお話しをする機会も増え、実際にグ
ラウンドの様子を見に行く機会も増えた。ただ時間が経っても答えは出ない。私は大学で教鞭を執る身。学生指導もあれば学校業務もある。サッカー部の指導もある。毎日ロヴェストグラウンドに行くことは出来ない。このことが決断を下すのにハードルとなったのは間違いない。毎日行けない中途半端な状況を補うが為に、身近にいる学生をおざなりに学外に出ていくことはできない。越えられるハードルか否か!どちらを選択するにせよどちらかが疎かになる・・・それなら一掃のこと新たな環境(県外・海外)に指導現場を求め、今の取り巻く環境から離れたらよいのでは?とも考えた。
2021年12月31日、大学サッカー部の指導を降りた。総監督にも部長職にも就かない。大学内の強化指定運動クラブ全般の支援室室長職のみ続けることにした。サッカー部だけではなく、たくさんのスポーツを志して入学してくれる学生への支援は疎かにはできない。名目だけではあるが現在女子バレー部の部長職に就き、ゼミ等学生指導も継続している。これは大学に対する私の使命だと思っている。期間は限定できないが使命は果たさなくてはならない。受け持った学生を卒業させるまでは・・・。
サッカー指導を生業とし始めて36年。現場でサッカー指導をしないのは初めのことである。趣味であったサッカーは、大学卒業後に指導者という生業に変化し、気が付けばライフワークとなっていた。大げさに言えばサッカーを30数年試行錯誤することで私は“大人”にしてもらい、サッカーを試行錯誤することで思考は哲学的にも文学的にも経済学的にも成長させてもらえたように思う。それが為に大学でサッカー文化・サッカー経済学・コーチング学・チームマネジメント学といったものを学生に教える立ち位置になっていった。 サッカーから離れる一方で、サッカーの持つ力・サッカーの魅力を
伝える役割があるのではないか・・・そんなことを思うようになっていった。いや、役割といった大それたことではなく残り少ない人生の中で誰かに伝え、何かを残したい・・・そんな気持ちに駆らた・・・そう表現したほうが適切かもしれない。人は年月と経験の中で生き、やがては自分の足跡を残したくなるものなのかもしれない。
次回に続く・・・
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